去年、10年働いた派遣先で正社員雇用された。そして先日、初めてのボーナスが支給された。もちろん派遣の時はなかった。額は約50万円。世間の基準で言えば、ささやかな金額かもしれない。しかし俺にとって、それは初めてこの社会の一員になれたような気がする額だった。派遣社員の10年間、どれだけ真面目に働いても、給料が上がることはなく、組合の恩恵も受けられず、ボーナスの「ボ」の字もなかった。毎月の貯金は、頑張って節約してもせいぜい2万円。冠婚葬祭で消え、病気ひとつで消え、洗濯機が壊れたらすべて吹き飛ぶ。10年働いて築いた資産は100万円に満たない。結婚や家庭は夢のまた夢だった。しかしようやく与えられたボーナスは、これを手つかずで残せば、1年で派遣時代の10年分以上の貯金ができる。正社員とはこういう世界を生きていたのかと呆然とした。10年間くさらずに頑張った自分を褒めてあげたい。
しかし俺は泣いた。深い怒りが湧いてきた。仲間たちはまだみな派遣社員のままだ。そして正社員にボーナスが支給されるこの時期、見て見ぬふりをして、静かに感情を押し殺している。かつての自分がそうだったように。この国には、「雇用」という名の身分制度がある。同じ場所で同じように働き、同じラインを支えても、片方にはボーナスが支給され、もう片方には何もない。配られる弁当が違い、名前の呼ばれ方が違い、福利厚生が違う。単なる「待遇の違い」などではない。制度として設計された分断。正社員と非正規、正規と派遣。派遣社員はいつでも代替可能な存在として扱われる。働き方に誇りを持つことは許されず、生活を安定させることも許されない。努力しても昇給はなく、意見すれば契約を切られる。会社の論理に従順である限り「使ってもらえる」が、ひとたび病に倒れたり、家庭の事情で融通が利かなくなれば、すぐに「不要」とされる。そんな人たちを大勢見てきた。彼らも真面目に働いてきたのに。この社会の多くは、彼らの存在を見ていない。統計には「雇用者」としてカウントされるが、実態はただの低賃金奴隷だ。社会は見て見ぬふりをしてきた。そして声をあげようものならこう切り捨てられる。
この言葉を口にする者は、自分たちが今いる場所に、偶然や特権や親の資産が一切関係していないかのように、恥もなく、無邪気な顔で、他者の尊厳を踏みにじりながらその自覚もなくこの言葉を言い放つ。軽蔑に満ちた顔で、嘲るように。
何年働いても手元に何も残らない生き方を、自己責任だと笑い飛ばす社会を、俺は許さない。派遣制度は廃止されなければならない。それを支える法律も、慣習も、利権も、根こそぎ焼き払うべきだ。働くすべての人間に、生活の安定と、人間の尊厳と、未来を。そして、この制度のうまみを吸い上げてきた者たち、会議室で搾取の計算をしてきた者たち、何百万人を踏み台にして昇ってきた者たち。俺は決して許さない。必ず報いは訪れる。お前たちは地獄で焼かれることになるだろう。炎の嵐による浄化を。