そもそも音楽ってのは視覚どころじゃなく、はるか昔から物語性と一体となってきたもんなの。
芸術・文化・歴史がまずあって、それに付随する芸術分野として音楽があるの。
古代の儀式曲にも、吟遊詩人の歌にも伝えるべき伝統や史実があって、管弦楽が発展してからもオペラや凱歌のように人類が築き上げた物語とともに音楽があった。
だから、現代の「アーティスト」的な肩書を名乗るバンド人間がやってる「音楽」なんていうのは、個人の思いつきポエム程度の規模感でしかないもので、歌詞からその人の着想を想像するしかない、極めて属人的で独りよがりな音楽なんだよ。
むしろ現代の映画音楽やゲーム音楽のようなものこそ、音楽の本流に近いもの。
人間の性質からしても、個々の人生に依拠する音楽よりも、創作がまずあって背景の物語を想像しやすいものに付随した音楽のほうが心動かされるもんだから、
個人の着想由来のバンド音楽でもなんとか物語性を感じてもらえるように、歌詞だけじゃなくPVだとかいって映像制作して視覚にも訴えかけようとしてるの。
でもそういう分野なら、映画やゲームやドラマとかのほうが音楽の叙情性能としてはるかに上だろう。
「アーティスト」の作る音楽なんて、そういう劇伴音楽の劣化コンパクト版でしかないの。
その事実を直視しないで済むように、歌詞だけでも誰にでも共感されるような薄っぺらい恋愛ソングだのといった、まるで占いのように誰にでも当てはまる曖昧模糊とした詞を有難がるようになってるんだよ。
そして「音楽性」とやらで勝負してるようにトガって見せる。でも物語を伝播するという音楽の本質的役割にとっては、そういう音楽的個性というのはそこまで重要じゃない。マニア気取りの人間は「音楽性」を有難がりすぎ。
音楽の本質からすると、その伝えるべき物語にふさわしい叙情性さえあればいいわけだから、劇伴音楽には歌詞が必須ではない。
でも現代の「アーティスト音楽」はほとんどが歌詞に頼らないと「マスに刺さらない」代物だろう。その時点で何かがズレてると俺は思うね。
インストだけでヒットする現代アーティストがいるとしたら、それはその背後に膨大な文化的コンテキストがあるはずだ。
けれどヒットチャートの音楽はそうではなく、そうした音楽は、文化的コンテキストが存在しない薄っぺらい社会を生きる人間のためのインスタント食品のようなもの。
あるいは、「アーティストを追っかける」という文化を音楽業界が捏造して、それ自体を文化的コンテキストにすることで熱狂を演出する、空虚と狂気に覆われていると言っていい。
バズったもん勝ちなのはSNSの弊害だよね あとそこに視覚的なインパクトが影響してるのが気にくわない SNSアプリとスマホっていう環境のせいだとは思う 純粋に、楽曲だけ、音だけで評...
視野せますぎないか? そもそも音楽ってのは視覚どころじゃなく、はるか昔から物語性と一体となってきたもんなの。 芸術・文化・歴史がまずあって、それに付随する芸術分野として音...
まさに今増田でちょっとバズってるLAUSBUBなんて、君の主張と真逆で音楽性で戦ってると思うんだが
でも姿見せなかったら見せなかったで文句言うじゃん