あらゆる技術ツールの存在意義は「人間の課題を解決すること」にある。
どれほど理論的に優れていても、使われなければ社会的影響はゼロであり、開発・保守・学習のコストに対するリターンも生まれない。
ツールは道具であり、「賢い者だけが扱える道具」は、実際の現場ではほとんど役に立たない。
例えるなら、戦場において「取り扱い説明書を10回読まないと撃てない銃」は、正確でも美しくても役立たない。
瞬時に理解され、即応可能であることが、実用の第一条件である。
ここで言う「馬鹿にもわかる」とは、知識レベルが高くないユーザーでも直感的に使える・理解できるという意味である。
これはユーザビリティ、学習曲線の緩やかさ、エラー時の挙動の親切さなどに現れる。
この観点からすると、「馬鹿にもわかる」設計は、実は賢い設計である。
人間の認知限界や行動パターンを理解し、誤操作を予防し、意図を汲み取って補完できるシステムは、万人にとって有益であり、結果として普及しやすく、フィードバックループによってさらに改善される。
Haskellは、理論的には極めて美しい言語であり、型システムの厳密さ、関数型の純粋性、抽象化の高さなど、形式的な正しさにおいて群を抜いている。
つまり、Haskellは「形式的正しさを最優先した結果、人間の直感と乖離し、現実世界との接続性が弱まった」道具である。
実際のソフトウェア開発現場では、エンジニアの入れ替わり、ドキュメントの不備、締切、バグ対応など、理想とは程遠い要素が日常的に存在する。
したがって、ツールは「賢い人が完璧に使いこなせば強力」ではなく、「凡人が雑に使っても一定の成果が出る」ことが求められる。
この点で、PythonやBashは「馬鹿にもわかる」ことを最優先し、結果として世界中で圧倒的に使われている。これは単なる偶然ではなく、設計哲学の勝利である。
道具は使われて初めて価値を持つ。そして「馬鹿にもわかる」ことは、使われるための最重要条件である。
Haskellのように理論的に優れていても、「現場に届かない美しさ」は、ツールとしての有用性を損なう。
論理ぶってるけど強度部分がほとんど主観的で 賢いフリしてもバカには限界があるというなのが凄い漏れ出て来てるな
お前は主観的だと言うが、それは反論ができないときの負け犬の遠吠えだ。 主観と決めつけるなら、その根拠となる客観的指標を出してみろ。こっちはすでにHaskellの利用率の低さ、学習...
反論と評価の違いもわからないんだもんな
ずっと疑問なんだけど、何をどう理解してそのレスなんだよ そもそもの問題点には気づいてないのかよ
よく口を動かせたな。その調子で、脳も動かしてみろ。 反論と評価の違いがわからないだと? そんな自己放尿で逃げたつもりか? こっちは最初から、お前の言葉を「評価」じゃなくて...