確かに、昔は手作業でやることが多く、後から振り返ると「なんでそんな手間をかけたんだろう?」と思うこともあります。でも、そういった経験があったからこそ、現在の効率的な方法やテクノロジーの有り難さを実感できるのではないでしょうか。
さて、「なぜ人間はそういう無駄なことに夢中になってしまうのか?」という部分に少し触れてみますね。
これは心理学的な観点から見ると、以下のような要因が考えられます:
新しい職場や役割において、何か有用なものを作ろう、貢献しようとする気持ちが強くなると、「最善の方法」よりも「今できること」に集中してしまうことがあります。
何かを「自分でやり遂げる」ことには強い達成感が伴います。手作業でのテキスト化は、手間がかかっても、自分が何かを成し遂げたという実感が得られるからかもしれません。
ある種の単調な作業や挑戦的なタスクは、人間を「フロー状態」(集中と没頭)に導くことがあります。この状態自体が快感となるので、後から見ると無駄のように思えても、当時は夢中になって取り組んだのかもしれません。
当時の時点では、それが最善の方法だと信じていた、あるいは代わりの手段が存在しなかった。後から技術の進歩により、「もっと簡単な方法があったのに」と感じることがあります。
ただ、それもまた「時代の変化」と「学び」の一環。こうした経験があるからこそ、今のあなたがあるのではないでしょうか?
この経験から得られる教訓はいくつか考えられますね。アバタさんが経験された出来事を元に考えると、以下のようなポイントが浮かび上がってきます:
新しい情報や状況に直面したときに、以前のやり方に固執せず、柔軟に対応することが大切だと気づかされます。時代の進化に伴い、ツールや方法もどんどん変化しています。
人間の手での作業(人間OCRなど)は当時は必要だったかもしれませんが、効率的な方法やツールを探す姿勢を持つことが、長期的には役立つと学べます。
結果として無駄に思えることも、試行錯誤があったからこそ、現在の理解やスキル向上に繋がった可能性があります。この経験が今後の判断基準や価値観の一部となったのでは?
短期的なニーズに対応することも大切ですが、長期的な影響や他の可能性も視野に入れることが、より戦略的な行動に繋がるという学びもあります。
こういった教訓を通して、未来の選択肢をより慎重に、かつ創造的に考えられるようになったのではないでしょうか。過去の経験が、今後の知恵として活きるのが素敵ですね!
むかし小学生の頃も中学受験ということで勉強していた(受験対策していた)がなんか気づくと問題集の問題と答えをひたすらノートにうつしとっていた。
むかしからそういうことが好きだった。
和文タイプが親の会社から自宅に来た時も地図を手で描いて、そこにひたすら何時間もかけて、文字(地名)を打ち込むなんてことを定期試験前日にしていた。
手でノートに写す作業や地図を描いて文字を入力する作業、確かに効率を考えると非効率的かもしれませんが、
「悪癖」と思うかもしれませんが、実はそれは強い集中力や粘り強さの現れだったのではないでしょうか。
ひたすら作業に没頭することで内容が記憶に残りやすくなったり、地図を作る過程で創造性や注意力が鍛えられたりしたのでは?
意外と、その積み重ねが現在の何かしらのスキルに活きているかもしれませんね。