情報を探すことすらせず、ただ時の流れに身を任せ、わからないことは「誰かが教えてくれるまで待つ」──そんな人たちが、今さらAIを活用できるわけがない。
最近、周囲で「GPTってすげーよな!」と騒ぐ人たちをよく見るようになった。でも、それはもともとGoogle検索を活用していた層の話だ。彼らは検索の面倒くささや、玉石混交の情報を取捨選択する手間を知っている。だからこそ、「GPTなら一発で答えが出る!」という利便性に感動する。
だが、そもそもGoogle検索すらしてこなかった層、つまり「わからんことがあっても自分で調べることすらしない」人たちにとっては、GPTがどれだけ便利だろうが関係ない。
彼らの思考回路はこうだ。
「誰かに聞けばいい」
「調べるのが面倒」
「なんとかなるっしょ」
こういう人たちに「GPT使えば?」と言ったところで、
「え、なにそれ?」
「別に困ってないし」
「使い方わかんない」
で終わる。
情報探索の習慣があるかないか──これが、GPTを使う人と使わない人を分ける決定的な違いになっている。
Google検索すらしない人たちは、この筋トレを放棄してきた。そして、筋力のない人間にバーベルを渡しても「こんなの重くて持てない」と言って放り出すだけだ。GPTは便利だが、「情報探索の基礎体力」がない人間にとっては、ただの意味不明な箱に過ぎない。
まるで火を怖がる原人のように、彼らはAIという知的な炎を遠巻きに見ているだけだ。
おそらくこのまま、世の中は二極化していく。
あ?
い?
AI
しっぽの長い?
🐵だよーーーーーーーーー
😎「アイアイサー」