「応仁の乱」。それは、室町幕府を二分した、泥沼の戦い。しかし、その戦乱の最中、都の東山に、ひっそりと、しかし、確かに、一つの文化が芽生えようとしていた。
「戦など、わしの知ったことではない。」
そう嘯く義政が、その生涯をかけて追い求めたもの。それは、権力でも、名誉でもない。ただひたすらに、「美」であった。
戦乱を逃れ、東山に隠棲した義政は、そこに、理想郷を築こうとした。
「わしは、ここで、最高の美を手に入れる。」
そう呟いた義政がまず手がけたのは、住まいである「東山山荘」の造営。
質素でありながらも、洗練された美しさを追求したその建築は、後の世に「銀閣」として知られることになる。
そう語る義政が、最もこだわったのは、その庭園。
枯山水の庭は、禅の思想を色濃く反映し、見る者の心を静寂へと誘う。
「ここに、わしの心が現れている。」
そう語る義政は、茶の湯にも深く傾倒した。
そう語る義政の姿は、まさに、美を追求する求道者のようであった。
応仁の乱は、彼の心を深く傷つけ、愛する妻や子との別れも経験した。
それでも、義政は、決して、美を追求することを諦めなかった。
「たとえ、この身が滅びようとも、美は永遠に残る。」
そう語る義政の言葉は、彼の美に対する、揺るぎない信念を表していた。
足利義政。
彼は、戦乱の世に、美を求めて生きた、孤高の将軍であった。
「美とは、生きることそのもの。」