※昔から自○願望があり、最近本当に精神的に参っているので、せめて遺書を書くことでストレス発散になるかもな、と思って書きました。おそらく本当に自○する場合は、こんな中二病チックなポエムを書くこともなく、面白い○に方をすることもなく、突発的に逝くと思います。
【本文】
この手紙がSNS上に公開されているということは、私の○から1週間ほどたったということだろうか。なるべくネットニュースになりやすい、面白い死に方を模索しただけに、「解説パネル付きの謎の焼○体」として報じられていることを願うばかりである。
私は幼い頃から自己肯定感が低い人間だった。その影響か、小学校高学年を迎える頃には、常に脳内に自○という選択肢があり続けていた。もちろん本気で死ぬつもりなど毛頭なかったが、カッターナイフを見れば人前で首に刺してみたいと思ったし、どうせ○ぬなら「部屋の中央にコンクリ詰めになっている」とか「額をサックで殴り続ける様子を配信する」とか、マスコミを騒然とさせる○に方をしたいな、とも常々考えていた。自己肯定感が低く総合的に無能なのに無意味な全能感はあったし自己顕示欲は強いので、根幹にあるのはいわゆる「かまってちゃん」の思想だろう。
そんな自分を誤魔化して生きてきたが、何一つ成し遂げることができないまま30歳を迎えてしまった。私がかつて通っていた某ボイトレ教室の講師は「“もう”アラサーで……」と話す私の言葉尻を捉えてしたり顔で「“まだ”アラサーですよね」などとほざき、クソの役にも立たない御高説を垂れ流したが、何も積み重ねてこなかった無能に“まだ”はないという、当たり前のことが分からないのだろう。逆恨みなのは理解したうえで、彼の家族や友人が事故なり災害なりに巻き込まれて、彼一人だけ生き残ってしまえば良いのにな、と願わずにはいられない。あの世があるか分からない以上、死んだ瞬間に思考が完全に停止する可能性があるわけだから、それなら嫌いな人間には生き地獄を過ごしてほしい。
前置きが長くなったが、そういった背景もあり、30歳になっても人生に何も見いだせなかったことから、○ぬことにした。よほどの殺人鬼でもない限り「○んだ方が良い人間」などこの世にはいないだろうが、「○んでも良い人間」なら履いて捨てるほどいるだろう。その一人が私ということだ。
たいていの人間はこう言うだろう。「君が死んだら悲しむ人もいるんじゃないのか」――それしか価値が無い人間だと断言しているに等しい残酷な言葉である。
自惚れになるが、私の場合は親や友人、職場の上司などそれなりの人は、私が亡くなったら偲んでくれることだろう。
だが、それだけだ。社会的な損失らしい損失はない。1か月も求人広告を出せば私の代わり、いや上位互換のライターが採用されるだろう。将来父母を介護してくれる人間がいなくなってしまうのは心苦しいが、父母は私や彼らの知人にとってかけがえのない人物であって、現代社会にとってかけがえのない人物ではない。友人にも家族や、私の知らない別のコミュニティがある。
どうせ最期の文章になるからハッキリと書いておくが、世の中には何をやらせても人の迷惑にしかならず、何をやらせても人並み以上には決してなれず、そのくせ自己愛だけやたらと強く、プライドの高い、私のような社会のご厚意で生きさせてもらっているに過ぎない、本来なら誰かに○されてしかるべき命が山のように転がっている。悪いことは言わない。存在を反省して、自分から決断しろ。