1975.4.25 シュガー・ベイブが「DOWN TOWN ⁄ いつも通り」 でエレックレコードからレコードデビュー
1976.12.25 山下達郎が小杉理宇造の尽力によりアルバム「CIRCUS TOWN」でRCA ⁄ RVCからソロデビュー
https://www.musicman.co.jp/interview/19480
1980.12.12 近藤真彦が「スニーカーぶる~す」でRVCからレコードデビュー
1981.9.30 近藤真彦のシングル「ギンギラギンにさりげなく」発売 B面「恋のNON STOPツーリング・ロード」の作曲編曲は山下達郎
1982.2 小杉理宇造がRVCから独立 アルファ・ムーンを設立 山下達郎も移籍
1982.5.1 中森明菜が「スローモーション」でワーナー・パイオニアからレコードデビュー
1982.6.30 近藤真彦のシングル「ハイティーン・ブギ」発売 A面「ハイティーン・ブギ」B面「Momoko」共に作曲編曲は山下達郎
1984.9.13 近藤真彦のシングル「永遠に秘密さ」発売 A面「永遠に秘密さ」の作曲編曲は山下達郎B面「Onemoretime」の作曲は山下達郎 編曲は山下達郎・馬飼野康二
1984.10.24 近藤真彦との交際を噂された中森明菜が「ザ・トップテン」の公開生放送で近藤真彦のファンから帰れコールを受ける
https://m.bilibili.com/video/BV11K4y1E7rm
1985.1.26 近藤真彦・中森明菜主演映画「愛・旅立ち」公開
1986.12.24 中森明菜のアルバム「CRIMSON」発売 10曲中「駅」「告白」「OH NO, OHYES!」「赤のエナメル」「ミック・ジャガーに微笑みを」の5曲が竹内まりや作詞作曲
1987.4.29 中森明菜が「夜のヒットスタジオ」で「OH NO, OHYES!」を歌う
https://youtube.com/watch?v=3srAJ5bXpRk
1987.8.12 竹内まりやのアルバム「REQUEST」発売 中森明菜への提供曲「OH NO, OHYES!」「駅」のセルフカバーも収録
1987.10.17 中森明菜が東京厚生年金会館でコンサート 「ミック・ジャガーに微笑みを」を歌う
https://youtube.com/watch?v=tippJz4YGe4
1989.12.28 メリー喜多川の強い勧めで中森明菜がデビュー以来の所属事務所研音から独立 小杉理宇造と新会社コレクションを設立 しかし小杉理宇造はすぐにいなくなりコレクションは機能不全に陥る
https://youtube.com/watch?v=AzEHq7Pb2f4&pp=ygUP6YeR5bGP6aKo5Lya6KaL
1990 アルファ・ムーンがワーナー・パイオニア傘下になる
1991 ワーナーパイオニアがワーナーミュージック・ジャパンに改称
1992 中森明菜がワーナーミュージック・ジャパンとの契約を解消
1993.3.31中森明菜が「夜のヒットスタジオ RETURNS SPECIAL」で「駅」を歌う
https://youtube.com/watch?v=2AnW6M3b-9g&pp=ygUS5Lit5qOu5piO6I-c44CA6aeF
1994.7.25 竹内まりやのベストアルバム「Impressions」発売 山下達郎がライナーノーツを執筆 「駅」のライナーノーツ全文
「87年のアルバム「リクエスト」のコンセプトのひとつに、「他人に書いた作品を自分で歌う」というのがあり、「けんかをやめて」「元気を出して」などと同じく、この作品も、もともとは、さる有名アイドル・シンガーのために書かれたものである。
まりやは当初、この曲を自分で歌うことに難色を示していた。マイナー・メロの「歌謡曲的」なアプローチだからというのがその理由だったのだが、歌謡曲とそれ程縁のない(?)私の耳には、この曲はとどちらかといえばイタリア風に聞こえたし、また、そのアイドル・シンガーがこの曲に対して示した解釈のひどさに、かなり憤慨していたこともあって、ぜひとも自分の手でアレンジしてみたいという誘惑にかられ、彼女を説得してレコーディングまでこぎつけた。
その後このヴァージョンは有線放送で1位になるなど、今では竹内まりやの代表作のひとつとなっている。メデタシ、メデタシ」
1995 小杉理宇造がワーナーミュージック・ジャパン代表取締役会長就任
2003.11 小杉理宇造がジャニーズ・エンタテイメント代表取締役社長就任
2013.11.28 竹内まりや×クリス松村「Mariya's Songbook」対談
https://natalie.mu/music/pp/takeuchimariya02
「クリス ここまでは若くてかわいらしいアイドルにピッタリな曲が多いんですけど、「駅」とかはまた違いますよね。
竹内 「駅」は確かに違いますね。頼まれたときから、明菜ちゃんには濡れた哀愁メロディの曲を絶対書きたいと勝手に思っていて。そのマイナーメロディの雰囲気に合わせて、昔の恋人を駅で偶然見かけてすれ違う……というストーリーを彼女の写真を見ながら組み立てていきましたね。歌詞自体は当時の私が歌ってもそんなに違和感のないものだったと思いますけど、マイナーコードであれだけベタな歌謡曲メロディを書いたことはなかったんで、それ自体が面白かった。
竹内 本当にそうなんですよ。明菜ちゃんの持ってる佇まいやイメージがそういう発想をくれたと思ってます。自分で歌う曲じゃないからこそ、ああいう哀愁メロディにしたわけですから。明菜ちゃんという素材があってこその曲だったと思いますよ」
Permalink |記事への反応(11) | 11:21
山下さんにとっては、 おくさんが精魂こめてつくった曲を歌う歌姫が自殺に追い込まれたことのほうが重大だったのだろう。 たしかに、明菜に比べたら頭がわるそうなクソガキの肛門な...
ジャニーさんはタチなの?
なんだ、山下達郎は昔からクズなんだね
駅、明菜は自縛霊かな?くらいのしっとりさで歌ってるが、まりあは彼を見かけた3分後には忘れて夕食の献立でも考え出しそうな明るさ。明菜の方がしっくりする
中森明菜の、サビが「…それぞれに待…つ…人のもと…へ…」の曲聴いたらさみしくなったので竹内まりやの、サビが「それぞれに待~つ笑 人のもとへ~笑」の曲聴いた
明菜「…それぞれに待…つ…人のもと…へ…(ボソボソ)」 山下“Merry”達郎さん「なんだこのひどい解釈は(憤怒)!おい、まりや、すぐにレコーディングだ!」 翌年、竹内まりや、セ...
『駅』の歌詞の解釈の違いって 歌手・中森明菜👉私だけ一方的に彼を愛し続けた。彼は私のことなど愛していなかったのに… 作詞・竹内まりや👉彼は私だけをあんなに愛してくれた。...
夫妻の代表作「駅」は中森明菜の依頼で作られた曲で吉次氏の兄故克久氏の編曲。複雑過ぎる人間関係。 その後批判が殺到して、ラジオで「あれは本人のことではなくスタッフの理解...
金屏風とジャニーズとメリーは絶対に許されない あとなんかライターじゃない、ガスコンロじゃない、なんか火をつける道具みたいな名前の音痴のジジイ 中森明菜というそれこそ1000...
竹内まりやの音楽を語る山下達郎「全ての作品に通底しているのが人間存在に対する強い肯定感です」 冬のストックホルムを颯爽と歩く竹内まりや「毎~日~がスペシャル笑」
gwmp0000 歌謡界 (20才そこそこの若気の至りを一生言及されるのは嫌だろうなー 互いにどうでもいいと思ってる年になってるのに) #心理 #あとで読む #とりあえずブクマ #よくわかんない #...
カラオケで駅歌いたくなってきた! シングルアゲインの方が好きだけども
文春は中森明菜にロングインタビューの申し込みくらいはしてるんだろうなあ 多分受けないだろうけども
そもそも彼氏の部屋で自殺を図ったのが良くない!事件すぐのマッチの対応は人としてちゃんとしてた記憶。強権事務所がマッチを守り過ぎてしまった…と思うマッチファン(当時)
いくら騙し取られたんだっけ中森明菜
そもそも『駅』は荒井由実『卒業写真』のアンサーソングであって楽曲提供した中森明菜とは関係がなかった。 ただユーミンの了承とか全くなかったので今の今まで指摘されても違うと...
根拠になる記事や発言あったら知りたい