「論文を一つも書かず、従軍慰安婦がどうのって言い続けて、50過ぎても未だに非常勤講師な人」とは誰ですか?
あったなあなつかしい。
印象に残ってるのはKIREIって季刊の雑誌の読者参加企画だ。
読者のOLさんとか主婦さんとかが応募したらAV男優と乱交できるって企画。
普通のお姉さんに目隠しのための仮面つけてて、モデルさんのポルノ写真よりずっと隠微だった。
そんなグラビアページがカラーでいっぱい載ってるのがその雑誌のメダマで、毎号載ってた。
第1回、第2回の電王戦は、始まる前からとてもワクワクして待ちきれなかった。
こう感じるのは、僕だけだろうか?
第1回、第2回はコンピュータのプロに対する強さが未知数だった。
短時間のネット将棋では人類を圧倒していても、プロが本気になれば違うとか、長時間になれば人間が有利だとかいう意見が多かった。
対するソフト開発者側も、何とか癖を読まれないように貸し出しを拒否したり、定跡を本番で指定したりして勝負に徹していた。
第4局で塚田九段が根性の粘りで引き分けに持ち込んだ後の、三浦八段対GPS将棋戦が、今から思うと電王戦のピークだった。
GPS将棋は600台程のPCでクラスタを組み、全力で棋士に挑戦したのは、相手の強さを認めていたからだろう。
三浦八段は現役A級棋士でタイトル獲得経験もあり、トップ棋士としての誇りとプライドがかかっているのが十分に伝わってきた。
三浦八段は破れはしたが、刀折れ矢尽きるまで戦ったその姿には感動し、1秒間に数億手読むクラスタと互角に渡り合える人間の頭脳に凄さを感じた。
昔の弱かったコンピュータ将棋からすれば、技術の進歩も存分に感じられた。
第3回は、ハードの統一、事前の貸し出し、ソフトの修正禁止が義務付けられた。
前年までのガチンコ勝負感は無くなったが、棋士側は期待の若手、往年のベテラン、将棋界の人気者、そして元タイトルホルダーのA級棋士と、前年以上に個性豊かで強いメンバーだった。
両国国技館や小田原城を対局場にするという試みにも注目が集まった。
電王手くんが機械らしく駒を持つ姿は、未来を感じさせつつも微笑ましかった。
後味の悪い番外戦は起きてしまったが、勝負に拘っていた事の裏返しだとも思えたし、両者の文化の違いが背景にあったとも思った。
唯一の勝利者の豊島七段の練習量に驚き、ponanzaの筋が悪くも巧みな中盤に感心した電王戦だった。
第4回は、ハードの統一、事前の貸し出し、ソフトの修正禁止のルールは引き継がれ、出場棋士は公式戦で勝率の若手で固められた。
ここまで、棋士が頑張りを見せて2連勝。
斎藤五段、永瀬六段の努力と強さは伝わるが、どうも阿部四段や豊島七段が勝った時の様な気持ちは湧いてこない。
以前の電王戦がスポーツだとすれば、今回は原作を知っている映画を見ているような、棋士が勝つ姿を応援しましょうという主催者が用意した舞台を見ているように感じる。
あれだけ驚きと興奮を与えてくれた電王戦は、きっともう見れないのだろう。
使えない東大生は、使える東大生がうようよいる大企業を落ちて、微妙な企業に入る。
微妙な企業には東大生なんて居ないから、東大ブランドに目が眩んでそいつが使えないという事実に採用段階で気付かない。
仕事をする段になって使えないことに気づく。
大学時代の話。
ある日学寮で数人の寮生と共に留学生と雑談をしていたとき、彼の出身地が話題に上った。
恥ずかしながら浅学なもので、アルジェリアという国がどういう国なのか、想像が及ばない。
モロッコあたりならこう、『カサブランカ』のイメージで、いやそれだってフィクションの中の一都市でしかなくて失礼な話だが、まあ、なんとなく。
誰ぞ気の利いた話題をひねりだせないもんかと他の学生に目を向ける。
え? どこやっけそれ。
しかもひとりではない。仮にも旧帝国大学の学生のくせして、アルジェリアの位置を把握していない人間がぼろぼろいやがるのだ。
まあ、慣れているのだろう。アルジェリア人の彼は自国の位置を説明してくれる。だがまだ終わらない。
あろうことか目の前に居るアルジェリア人の彼が黒人でないことに驚くのである。
なに言ってんだこいつ。
アフリカ北岸は古くはローマ帝国の版図でその後はずっとイスラムの支配圏だったろうに。
選択科目の関係で習ってないにしても、ではまさかハンニバルが黒人だとでも言うのか。
だが俺が呆れかえるより早く、周囲の人間が膝を打つ。あ、ほんとだなんでなんで。
ヨーロッパとは内海である地中海を隔てているに過ぎず、シリアと地続きで、黒人の版図との間にはサハラ砂漠が立ちはだかるあのアフリカ北岸なのだ。
自分の周囲にホワイトアフリカとブラックアフリカの区別のつく人間がひとりもいないという事実に愕然としつつ考える。
旧帝の一角たる国立大ですらこのザマだ。私学など恐るべき状況に違いない。
三教科入試など序の口、幼稚舎エレベーターやら帰国子女枠やら意識高い高いAO枠やらの跋扈する人外魔境である。
ここに至ってようやく俺は気付く。
高学歴の人間に教養を期待するのはてんで的外れである、ということに。
しょせんデータベースとして蓄えられる知識なんぞより、それら知識の有機的結合から導き出される中学生でも納得できるような当然の推論の組み合わせ(つまるところ要するにまあ教養)のほうがはるかに広範囲に及ぶ。
あれはお受験というふるいに対して、どれだけ最適化されているか、抜け道近道を知っているかでしかないのだ。
結局、学歴とは能力の指標というよりも既得権益の可視化という性格のほうが強いのだ。
名前を書けば最寄の高校に入学できるクソド田舎の公立中学から始まって、ずいぶん長い間くだらない幻想に囚われていた。
こんな程度のことに気がつくのに馬鹿みたいに時間をかけてしまった。
おかげで論理的思考だとかリベラルアーツに努力値極振りしていた俺は当然の結果として就活に失敗するのである。
なおこの後クッソド田舎な地元の飲食店でバイトして、自分の先入観からずれた発言はどんなに滾々と事例をあげて諭そうと一顧だにしない低学歴の人間にふたたびカルチャーショックを受けるのはまた別の話。
Permalink |記事への反応(14) | 23:16
人数合わせの合コンに3回ぐらい誘われたんだが
もう断るのがめんどうくさい
イヤがってんのわかってくれ。もう誘うんじゃないぞ。
合コン行くより家で自家発電の方が好きなんだよ。オレは。
覚えてる人いる?パステルティーンとか。
表紙が売れないモデルで(エロ雑誌だし仕方ないんだけど)一見普通の雑誌なんだけど
中身は週刊誌のエロコーナー、ただしティーン向けなのでリスカとかの記事もある
覚えてるのはエロ用語の辞典と読者投稿の(妄想の)セックス体験談
あれで私は中学生ながらどぎつい下ネタ会話を理解できるようになったし
「わかめ酒」に謎の憧れを抱くようになった
おかげで後にできた彼氏にわかめ酒をせがんでしまいドン引かれる事案を引き起こした
AV紹介とかあって、浜崎りおさんの超高級ソープが紹介されてたのを覚えてる
その号では浜崎さんがエロスの神がごとく扱われており、やはりのちの彼氏に(中略)ドン引かれた
インターネットはあったが、家族共用で、携帯は中学生は持っていないそんな時代
湧き上がるエロスへの好奇心を、エルティーンやパステルティーンは受け止めてくれたが
長くに渡って被虐とエロスを結びつけるきっかけになった感は否めない
求められてめちゃくちゃにされること=エロスだと思い込んでいたんだよね。それで後の彼氏に(以下略)
どっち選んでも悪い事言われるなら、自分がやりたい方やればええねん
艦これアニメがあの出来なのに未だにファンがそれに執着してるのに対してモバマスのアニメは一般論として出来がいいと断定して問題ないにもかかわらず話題もファンの盛り上がりも活動してる人数も空気に近い状態にある。
これはやはり百戦錬磨の角川の判断による超猛スピードアニメ化が完全に正しくモバマスのようにアニメ化まで決断も製作時間も長くかかるようなやり方は完全に間違っていたのだろう。
モバマスは今年中の二期放送が確定していて本家はアイマスイヤーとかぶちあげてるが実際は今年も艦これの年になるのが目に見えている。
多分、潜在的にバイな人はそれなりにいて、その中には同性愛だけ、異性愛だけ、というのを選択できる場合もあるんだろうね。性的な志向がある程度コントロールできる人、というのがいてもおかしいことはない。
ただ、世の中の大半は、自分が当然かつ先天的に異性愛だと思っているなので、世の中への説明として、「当たり前に異性愛であるのと同じように、当たり前に同性愛なのだ」という説明は分かりやすいと思う。
逆に、同性愛は「選択できる」という認識が一般になると、じゃあ異性愛を選択させよう、同性愛を「治療」しよう、という押し付けを強化しかねない。
異性愛者の多くにとって同性愛がありえない選択肢であるのと同様に、同性愛者の多くにとって異性愛がありえない選択である、という認識は必要だ。
これが行き過ぎると、両性愛者や性的指向を選択した人への差別に繋りかねない、というのはあるのだけど。
これは当然。