エンジニアが産休と育休とれて子供が小学校3年生まで時短勤務とかできるなら工学部だって進学すると思う
社会ではリスクを取って、外へ出ようとか言っておいて コレか。
この教育では、自由な発想ではなく、言われたことを厳密に、言われてないことは1mgもやってはいけない。みたいなネジみたいな人間が生まれてもそら、仕方ないわ。
初等教育では、生きていくのに必要なことを優先して教えてやれよ。
代数学云々より、発想の自由のほうがよほどじゅうようだろ。 代数学ウンなんたら言うなら、大学行って必要なやつだけで十分だろ。
逆にコレを重要だというなら、企業とか、リスクを取って海外へとか事業起こそうとかいうな。
PDF(http://cdl.w3.kanazawa-u.ac.jp/document/action/090317ppt.pdf)を見ると
アメリカの大学でも女性が働きやすいか、満足度が高いか?というとそうでもないようですよ。
これはそうだね。 その君の高校の時だけど、「理系を選択する女子」と「文系を選択する女子」ってどっちが多かった?
そういうことを裏付ける資料はあるの?
むしろ、生まれ持った嗜好というのが大きいと思う
医療系は人と接する要素があるから人と付き合うことが得意な女性が選びがちだけど、
あと、女性の場合は同性の目線を気にして選んでいないのではないかという説もある
http://michys.com/blog/2006/11/post_537.html
実際は計算能力に性差はあまりないにも関わらず、女性が数学にプラスイメージをもてないのは、そもそも女性が計算が駄目だというステロタイプイメージが先行している可能性もある。
これは同感。 女性が理系を選択しないのは「女性自身のイメージ」が問題。そこを改善するのが先なんじゃないかね。
先に女子枠みたいな設けてしまうと、それこそ逆差別ではじかれる男子が出る可能性がある。
アファーマティブアクションは最終手段なんじゃないかね。
単にお前がそういうところを好んで見てるだけだと思うが。
日本の理系では女性が差別されているから(文系でも、だが理系の方が酷い)、
と言うのはどう考える?
女子高生の文理の選択時って差別の状況が明らかになってるものなんでしょうか。
理由として「女性が差別されているからだ」ってのは凄く言いやすいけど、単純に女性の観点で嫌がってる、という要素の方が強いと思う。
http://demura.net/%E6%95%99%E8%82%B2/108.html
MITも昔は女学生が少なかったそうですが、近年は男女の比率が同程度になっています。
男性と女性は一般的に得意分野が違うので、工学部では女性の比率が低く、Biology、Brain and Cognitive Scienceなどがある理学部では女性の比率が高くなっています。私が聴講した大学院の授業では、機械系の講義の場合は女性が2割弱しかいませんが、脳科学系の講義の場合は女性が7割もいます。
このPDF(http://cdl.w3.kanazawa-u.ac.jp/document/action/090317ppt.pdf)をざっと見ただけだけど、
アメリカの大学でも女性が働きやすいか、採用が増えているのか、ってーと、そういうわけでもないと思う。 労働条件によらないじゃないでしょか。
所詮ああ言うの書いてる奴って適当な会社員だろ。大企業の人事担当はほいほいかかないぞっと。もっとも、そんなのに頼ってるようならあれだよねw
もともとフェミは『家族』とか『家庭』という構造自体に反対している人間が多いってのもあるが。
WAN:Women's ActionNetwork「労働」概念は変化したのか? 伊田久美子
私は70年代以降のフェミニズムは、以下の2点を明らかにしたと思っていた。
ひとつは、稼ぎのない妻の利害は「稼ぎ手」である夫と一致しているように思い込まされてきたが、
それは必ずしも一致しないこと、もうひとつは、「主婦」と「働く女」の利害は対立していると思い込まされてきたが、
実はけっこう一致している、ということである。
ミクロな権力関係を含んだ「家父長制」と、一心同体とみなされてきた家族の中の仕事を労働であると主張した「家事労働」という二大キー概念は、
ここまでは解る。個人的にも、ある時点まではフェミニズムは社会に有益な働きをしてきた、とも思ってる。
しかしこの日のシンポジウムを聞いていると、どうやら二つとも私の勘違いだったかのようである。
むしろ女の多様化とか女女格差という議論の展開によって、上記の課題の重要性は希薄になっているのだろうか。
たしかに70年代の「女」というアイデンティティは今の時代には既に齟齬があるだろうし、
この変化は機会を改めて考察したいテーマである。しかしあのとき開けた構造の認識は、
運動にとって貴重な相互理解を可能にしたであろう。
なぜなら女たちが手探りで模索したフェミニズム理論とは、異なる立場の者、知り合うこともない者との連帯を可能にするためのツールだからである。
http://wan.or.jp/reading/?p=5396
運動が拡大する前は、どうしても頭数がいる、そういう利害もあって
活動に参加する時間がある専業主婦層を大量に取り込んだって感じなんだろうか。
そして今は女性側の権利もほぼ満たされ、より雇用の拡大をポジティブアクションで実現しようとしている、
計算問題を解かせるときに、自分が女性であると意識させると成績が下がり、アジア人(計算が得意というステロタイプイメージがある)だと意識させると成績が上がるというもの。
実際は計算能力に性差はあまりないにも関わらず、女性が数学にプラスイメージをもてないのは、そもそも女性が計算が駄目だというステロタイプイメージが先行している可能性もある。
いずれにしても、結果から先に整えて様子見るフェミニストの戦略は、決して悪いものではないと思うが、なんというか、性のステロタイプイメージの影響力って、地味に聞いている感じがする。
これが本当に撤廃された結果は見てみたい。面白いと思う。
http://twitter.com/#!/femibotjp/statuses/147645947466358784
いや、実は旧日本軍は「悪質なブローカーに注意しろ」ってお触れを何度か出していて、摘発・投獄された者の中には現役の軍人もいたらしい。
ちなみに旧日本軍の公営慰安所は健康管理がかなり厳しくて、慰安所に勤める女性は一定日数以上連続で「勤務」する事が禁じられていた。
うん。でも左翼呼ばわりされても、なお「俺は中立だ」って言わないのは、それこそ左端で世の中のバランスとってる俺はバランサーなのだと思っているっぽいのかな、と。
うーん、結局同じ穴の狢か。
確かにそれは言えてる
twitterに集まっているフェミクラスターもなぜか知らんがそういう人が多かった
フェミニストのロジックで危険だな、と思うのは、新しいルールを作ろうとする際に
例えば日本のアファーマティブアクションの場合、『結果の平等』を求めてしまうこと。
日本における行政分野のポジティブ・アクションの取組
http://www.gender.go.jp/positive/siryo/po02-1.pdf
喪女の全員が全員そういうつつましい存在だったらいいんだけど、私のもとにイケメンが来て当然と思っている人もたくさんいるよ
具体的にだれがとは言わないけど