3月8日(土)、映画製作会社のザフール社長で、映画プロデューサーの古賀俊輔さんと、打ち合わせ及び会食をする。
古賀プロデューサーは、山形国際ムービーフェスティバル(YMF)の審査委員も務めていただいている。
この日は、山形国際ムービーフェスティバルのスカラシップ作品について打ち合わせをする。
現在、スカラシップの映画制作に向けての準備を進めている作品を始め、最近、企画が上がってきている数作品について話し合う。
また、古賀さんが製作に名を連ね、ザフールが制作をした映画「夜明けのすべて」に話しが及んだ。
映画「夜明けのすべて」は、日本アカデミー賞の多くの部門で受賞された話題作である。
残念ながら、最優秀賞は逃したが、多くの賞に輝いたのである。
古賀さんは、初めての串フライの店「串幸」をとても喜んでくれた。
三陸産の牡蠣の串揚げや、山形産の牛肉やマシュルームなど、旬の食材が楽しめる。
3月6日が、YMF事務局の佐藤則子さんの誕生日だったこともあり、フェイスさんが用意したケーキでお祝いをする。
佐藤則子さんは、映画祭の事務局を20年間担当してきており、古賀プロデューサーとも長い付き合いである。
この日は、今年のYMFの招待作品について話し合ったのである。
3月15日(土)、山形ワイヴァンズは、ホームに、信州ブレイブウォリアーズを迎える。
現在、信州ブレイブウォリアーズは東地区2位であり、昨シーズンのB1リーグの得点王のペリン・ビュフォードを擁する強豪チーム。
山形ワイヴァンズが、どんな戦いを見せるかに注目が集まる。
米沢市の近藤洋介市長と自分は旧知の中であり、父の時代からご縁が深い。
以前は衆議院議員として国政にて活躍されていたが、現在は米沢市長として、その経験を活かされている。
この日は米沢市応援デー。
近藤市長が、わざわざ天童市の山形県総合運動公園アリーナまでお越しいただき、ご挨拶をいただいたのである。
この日の山形ワイヴァンズは、前半から3Pシュートが決まり、ワイヴァンズの強みを活かした試合となる。
ディフェンスとオフェンスの攻防が激しく、リードしていた山形ワイヴァンズを、信州ブレイブウォリアーズが急追する。
試合結果は、山形84点、信州79点。
山形ワイヴァンズが、連敗を止めたのである。
また、この日の3Pシュートは、32分の16であり、決定率が50%であった。
山形にとっては、昨年B1にいた信州だけに、ウェイン・マーシャルがいないにしても、よく勝ち切ったと思う。
明日も、是非、応援をよろしくお願いします。
東日本大地震からの復旧・復興を毎年追い続け、ダイバーシティメディアの市民チャンネル(コミュニティーチャンネル)で、「to Revive〜あの日から今日まで」という番組を放送している。
全国のケーブルテレビ30局以上での放送実績がある番組である。
今年も3月11日に、ダイバーシティメディアの鈴木淳予ディレクターと小林利尚カメラマンが、宮城県牡鹿郡女川町出島に取材に伺った。
この写真は、鈴木淳予ディレクターから送ってもらったロケの様子である。
出島湾から望む「出島大橋」
今年の3月11日は、14年前のあの日とはまったく違って、春の陽気の穏やかな光景。
キラキラと太陽の光が反射する美しい海が写っていた。
この日、ダイバーシティメディアでは、午後2時46分、館内放送にて東日本大震災が発生した時刻が知らされ、全社員で黙祷を行う。
ちょうど、吉田専務、和康専務、斎藤常務、奥出取締役、三沢局長との打ち合わせ中だったが、黙祷を捧げ、その後、14年前のあの時のことを語り合う。
2011年3月11日、朝、母はバスで仙台市の三越に買い物に行った。
自分たちはいつもの日常を過ごしており、自分は秘書室の前身である経営企画室の斉藤健室長と、ミーティングをしていた。
午後2時46分に、社屋が揺れ出し、いつもよりも大きく長く感じたのである。
揺れが収まってすぐ、全社員を社外の正面の駐車場に待避させた。
街中は全て停電で、放送機器も信号機も機能せず、車内テレビやラジオで情報を取った。
当時のケーブルテレビ山形は、無停電装置で社内は明るさが戻ったが、山形市内が停電になっていた為に、番組を伝送することができなかった。
停電復旧を待つために、泊まり込むスタッフ。
ムービーオンやまがたも、停電の為に、上映ができなくなる。
社員スタッフが泊まり込み、不測の事態に備えた。
3月なのに気温が下がり、雪も積もり、とても寒い夜となる。
山形県庁は、明け方まで電気がついていた。
仙台に行ったきり連絡がつかない母が心配だったが、弟家族と一緒に我が家で夕食を取る。
カップヌードルやパンなどを買い集め、懐中電灯の中での食事。
母のことだから、きっと仙台市のどこかの避難所に必ずいるとの確信があった。
母にとっては学生時代を過ごした仙台市。
宮城県生まれで、誰よりも仙台市のことを知っているので、自分はどこか大丈夫だと信じていた。
翌日、停電が復旧し、ケーブルテレビ山形に電気がもどる。
そこから、生放送を開始し、地元のスーパーや商店街の情報や交通情報などを、リアルタイムで伝えたのである。
昨年12月19日に女川と出島を結ぶ、出島大橋が完成し、開通した。
今回、ダイバーシティメディア制作チームは、14年目の3月11日の出島を取材する。
14年前に壊滅的なダメージを受けた出島が、長い時を経て再生してきている。
そして、橋が掛かったことにより、さらなる復興が期待される。
多くのものを失ったあの日、忘れてはならないし忘れはしない。
これまでの歴史を心に刻みながら、合わせて、未来に向けての新たな一歩を踏み出す時が来ているに違いない。