本日、隊長・区長・
支区部長以上の幹部に
急遽、集まって
頂きましたが、重大な
報告があります。
本日十六日の未明、
浅井先生が
御逝去されました。
御年九十一歳でした。
先生は、数年前から
体力の衰えが窺われて
おりましたが、
そのようなところは、
私たち弟子や家族にも
一切見せず、
ただ御遺命成就の
一点を見つめ、
いささかも休まれる
暇もなく、広布の
陣頭指揮を執って
おられました。
しかし本年九月の
総幹部会の翌々日に、
俄に体調を崩され、
それより二週間ほど
治療・静養して
おられましたが、
本日、臨終を
迎えられました。
峻厳きわまる
大忠誠で貫かれた
その御生涯は、
まさしく御遺命守護
そして御遺命成就に、
命尽くまで、
最後の最後まで
戦ってこられた、
凄まじいものでした。
ことに
九月度総幹部会で
頂いた、あの
五十五分にもおよぶ、
御気魄こもる
重大ご講演を
拝しては、今にして、
その思いを深めるもの
であります。
そして、
私自身、何より
有難かったことは、
本日、眼前にした、
浅井先生の、
まことに素晴らしい
臨終の相でした。
まさに
「臨終に色変じて
白色となる、
又軽き事鵞毛の如し、
輭なる事
兜羅綿の如し」
との御金言どおりの
成仏の妙相でした。
臨終を迎えるに
当って、
いささかの
苦痛もなく、
それより二時間、
親族で唱題回向し、
さらにその後も
お題目を唱える
ほどに、色は白く、
首も定まらず、
手もほどけるほど
柔らかく、笑みを
湛えるような、
なんともいえない
柔和な御表情となり、
また唇も赤みがさし、
まるで今にも
起きてきそうな、
まことに美事な
ものでありました。
この現証を
眼前にしては、
凡夫を仏にして下さる
大聖人様の大慈大悲に
ひれ伏すとともに、
浅井先生ご自身が、
自らの臨終の
証拠を以て、
私たち弟子一同に、
「御本尊様絶対」の
大確信と、
御遺命の
国立戒壇建立に向けて
唯一戦う
顕正会の正しさ、
そして大聖人様の
大慈大悲・絶大威徳に
より順縁広布は断じて
成ることを教えて
下さったものと
思わずにはいられず、
深い悲しみの中にも、
ただただ有難さが
こみ上げて
まいりました。
私たちは、これまで
先生に、どれほどの
大事を教えて頂いたか
計り知れません。
これまで
先生から頂いたその
報じがたき大恩を
かみしめるほどに、
私たち弟子一同は、
一筋の忠誠を貫かれた
浅井先生の
御遺命成就にかける
ご遺志を継ぎ、
その実現に
身を捨てて戦い、
今こそ、深き師恩を
報じてまいらねば
なりません。
世間を見れば、
「末法濁悪」の様相は
日々色濃くなり、
世界および
日本を取り巻く
客観情勢は
待ったなしの勢いで
激変し、
「前代未聞の大闘諍」
「他国侵逼」が
いよいよ迫りつつ
あります。
その中、いつも
先生は、師敵対・
極限の大謗法の
正系門家の堕落を
ごらんになり
「もう顕正会以外に、
広宣流布をなす団体は
ない」
と仰せられ、
ただ日本を動かす
三百万だけを
見つめて、その前進を
急いでおられました。
この先生の
ご遺志を体し、
御遺命成就に死力を
尽くしていくのが、
これまで
溢れんばかりの
薫陶を受けてきた
弟子の務めで
あります。
本日よりは、私が
先生の名代として、
顕正会の指揮を
執らせて頂きます。
私たち弟子一同の
衝撃は、まことに
言葉にならぬもので
ありますが、
先生の御逝去という
深い悲しみの中に、
唯一の御遺命たる
広宣流布・
国立戒壇建立に、
身を捨てて戦われた
先生の大忠誠心を、
夢寐にも忘れず、
本日集いし、隊長・
区長・支区部長以上の
幹部こそが、
大勢の同志を大確信に
立たしめ、三百万を
早める大なる
御奉公をなし、以て、
深き師恩に報いて
まいろうでは
ありませんか。
「浅井昭衞先生追悼号」 | 顕正新聞社 - 公式サイト (kenshoshimbun.com)
冨士大石寺顕正会 - 公式サイト (kenshokai.or.jp)
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