昭和四八年一二月、
先生は本部会館
(東京都板橋区)を
初めて建設された。
この落慶御入仏に
際しては、
松本日仁尊能化が
「妙縁寺重宝」との
脇書がある
「第六十世・
日開上人」御書写の
御本尊を自ら奉持し、
懸け奉って下さった。
先生の諫暁により
二度も正本堂の誑惑を
訂正しておきながら、
池田大作に
改悔はなかった。
正本堂完工式にキリス
ト教神父を招き、落成
式には「御遺命達成」
の言葉を会員に伝えて
いた。また国立戒壇を
否定した政府への「欺
瞞回答」も撤回されて
いなかった。
ここでもし再び
諫暁に立てば、
今度こそ解散処分が
下り「本山登山」も
「御本尊下附」も
禁止され、講の命脈を
保つことは不可能と
なる。
しかし先生は、
講の安穏よりも、
大聖人様への忠誠を
選ばれ、以前にも
増して徹底せる
諫暁に立たれた。
昭和四九年
七月二八日、明治公園
に三千人を結集して
「立正安国野外集会」
を開き、決議文を以て
池田大作に「国立戒壇
を否定した政府への
欺瞞回答を撤回せよ」
と迫られた。
昭和四九年
八月一二日、ついに
解散処分が下った
――。その宣告書には
「日蓮正宗管長・細井
日達」の名義で、「国
立戒壇の名称を使用し
ない旨の宗門の公式決
定に違反し、更にまた
昭和四十七年四月二十
八日付の『訓諭』に対
し異議を唱えたゆえ」
とあった。
先生は
「この宣告書を
手にしたとき、
私の胸には
『大事な御遺命が
破壊されんとしている
とき、妙信講が安穏で
あってはいかにも
大聖人様に
申しわけない。これで
一分でも申しわけが
立つ』との思いが
わいた」と。
この宣告書こそ、
まさに「忠誠の証」で
ある。
このとき先生は
「遥拝勤行で広宣流布
の御奉公に立とう」と
決意され、直ちに
遥拝勤行での死身弘法
を展開された。
本山登山を妨害された
先生は、それより
五十数年にわたり、
毎年、年の暮れに
大石寺近くまで
詣でては、
本門戒壇の
大御本尊を
遥拝されてきた。
解散処分より
嵐のような弾圧が
妙信講を襲う中、
老齢の御身で妙信講を
庇護して下さった
松本日仁尊能化を、
細井日達は
「擯斥処分」に
処した。
また同年一一月より、
先生は本部会館の
御本尊を奪取せんと
する学会との法廷闘争
に立たれた。
昭和五〇年
八月一二日、先生は
三度目の池田大作への
公場対決申し入れを
された。しかし池田は
黙殺の一手を用いて
逃避した。
同年八月二六日、
先生は妙信講・講頭に
就任された。時に
四三歳であられた。
昭和五一年
四月二二日、先生は
阿部教学部長
(阿部日顕)に
公開討論申し入れ書を
送付された。
阿部教学部長はこれを
黙殺した。
昭和五二年四月、
二年六ヶ月におよぶ
学会との法廷闘争は、
妙信講の全面勝利で
終結した。
このころから学会と
宗門の間に抗争が始ま
り、昭和五四年七月二
二日、この抗争に性心
を労した細井日達は、
大事の御相承をもなし
得ずに急死を遂げた。
昭和五四年
一一月二六日、
先生は、細井日達の
次に自己申告で登座し
た第六七世・
阿部日顕への
諫暁を開始された。
昭和五七年
一〇月九日、先生は
日本武道館で一万人の
大総会を開催され、
死身弘法ついに
六万に
達したことを機に、
妙信講の名称を
「顕正会」と
改められた。
昭和六三年八月、
先生は池田大作と
阿部日顕による
御遺命破壊の完結たる
「本門寺改称」の
陰謀を見抜かれ、
総幹部会において、
この陰謀粉砕への
鉄石のご決意を
表明された。
平成二年四月、先生は
二〇万の死身弘法を
背景に、
「正本堂の誑惑を破し
懺悔清算を求む」との
一書を認め、阿部日顕
に送付された。
同年七月には二万人の
大総会を横浜アリーナ
で開かれ、
「もし池田大作が
本門寺改称を強行する
ならば、そのとき、
全顕正会員はこぞって
大石寺に総登山すべき
である。信心の力を
以て、本門寺改称を
断固粉砕しよう」と
全員に訴えられた。
先生の諫暁に怖畏を
生じた阿部日顕は
「大本門寺の寺号公称
は広宣流布の未来にあ
る」と宣言。この裏切
りを眼前にした池田大
作は怒り心頭に発し、
これより「修羅と悪竜
の合戦」そのままの、
醜悪そして凄絶なる大
抗争が始まった。
平成八年一二月、
先生は「日興上人・
日目上人の清らかな
源流に戻るべし」との
お心から、「日蓮正宗
顕正会」の名称を
「冨士大石寺顕正会」
に改められた。
平成九年七月一六日、
先生は五〇万の弘通を
背景に、
「日蓮大聖人に
帰依しなければ
日本は必ず亡ぶ」の
一書を認め、
一国諫暁に立たれた。
平成一〇年、ついに
偽戒壇・正本堂が
崩壊した――。
先生は、池田大作が
「末法万年までの
戒壇」などと豪語した
正本堂が、阿部日顕の
池田への瞋恚の力によ
って、
わずか二六年で
打ち壊わされた凡慮を
絶する大現証について
「すべては大聖人様の
御意による。
大聖人様は、
御遺命破壊の大悪を
断じて許し給わず。
ゆえに顕正会をして
諫暁せしめ、
諸天をして学会・
宗門を抗争せしめ、
ついに正本堂を崩壊せ
しめ給うたのである」
とご断言されている。
誑惑の正本堂崩壊す!!(冨士大石寺顕正会) - YouTube
「浅井昭衞先生追悼号」 | 顕正新聞社 - 公式サイト (kenshoshimbun.com)
冨士大石寺顕正会 - 公式サイト (kenshokai.or.jp)
動画 | 冨士大石寺顕正会 - 公式サイト (kenshokai.or.jp)