しかし大事なことは、
たとえ
国の総力を挙げて
国防の最善を
尽くすとも、それで
日本を守れるか
ということなのです。
日蓮大聖人の仏法を
立てない以上、
諸天は日本を
守護しない。
よって
いかなる防衛努力も
虚しくなる。
立正なくして
安国はない
のであります。
ゆえに撰時抄には
「設い五天の
つわものをあつめて、
鉄囲山を城とせりとも
かなうべからず。必ず
日本国の一切衆生
兵難に値うべし」と。
また下山抄には
さらに委しく、
次のごとく
仰せ下されている。
「真の天の責めにて
だにもあるならば、
たとひ鉄囲山を
日本国に引き回らし、
須弥山を蓋いとして、
十方世界の四天王を
集めて波際に
立ち並べて
防がするとも
法華経の敵となり、
教主釈尊より
大事なる行者を、
法華経の第五の巻を
以て日蓮が頭を打ち、
十巻共に引き散らして
散々に踏みたりし
大禍は、現当二世に
のがれがたくこそ
候わんずらめ」と。
この御文はまことに
大事です。よって
少しくその御意を
拝します。
―もし真の諸天の
責めであるならば、
たとえ鉄囲山を
日本国の周囲に
引きめぐらし、
そのうえ須弥山で
蓋いをし、さらに
十方世界の四天王を
日本国の波際に並べて
防御させるとも、
日本を守ることは
できない――と
仰せあそばす。
なぜか。それは、
末法下種の御本仏・
日蓮大聖人を国中が
怨み迫害している
からです。
そもそも
日蓮大聖人様は
いかに尊い仏様で
あられるか。ここには
「教主釈尊より
大事なる行者」と
仰せられている。
インドの釈迦仏は
法華経の神力品に
おいて、末法には
三世十方の諸仏の根源
の御本仏が出現して
全人類をお救い下さる
ことを、次のごとく
述べている。
「日月の光明の
能く諸の幽冥を
除くがごとく、斯の人
世間に行じて、能く
衆生の闇を滅せん」
と。
この予言・証明に
照らされて、
日蓮大聖人様は
末法に御出現になり、
流罪・死罪の大難を
耐え忍ばれて、
全人類の成仏のために
三大秘法を一切衆生に
授与して下さった。
この大慈大悲と
絶大威徳は、まさしく
久遠元初の自受用身・
末法下種の主・師・親
であられる。ゆえに
「教主釈尊より
大事なる行者」と
仰せ給うので
あります。
しかるに、
この大恩徳まします
日蓮大聖人様に
対し奉り、なんと
「法華経の第五の巻を
以て日蓮が頭を打ち、
十巻共に引き散らして
散々に踏みたりし…」
という乱暴狼藉が
なされた。この犯行に
及んだのは、少輔房と
いう退転僧であった。
この者、曽ては
日蓮大聖人様の弟子で
あったが、
信心うすく
欲ふかきゆえに
退転して、
あろうことか
幕府随一の権力者・
平左衛門の手下に
なった。
そして平左衛門が
日蓮大聖人様を
逮捕せんとして
草庵を襲ったとき、
少輔房はその先陣を
承ってこの乱暴狼藉に
及んだのです。
この狂態をじっと
ご覧になっておられた
日蓮大聖人様は、
突如、大音声で
叫ばれた。
「あらをもしろや。
平左衛門尉が
ものに狂うを見よ。
とのばら、但今ぞ
日本国の柱を倒す」
(下種本仏成道御書)
と。
さらに
「日蓮は日本国の
棟梁なり。予を失うは
日本国の柱橦を
倒すなり。只今に
自界叛逆の難とて
どしうちして、
他国侵逼の難とて
此の国の人々
他国に打ち殺さる
のみならず、
多くいけどりに
せらるべし」
(撰時抄)と。
この仰せこそ、
立正安国論に次ぐ
第二の国家諫暁で
あられた。
この師子吼・
大叱咤は、平左衛門の
心胆を寒からしめた。
彼は恐怖のあまり
顔面蒼白となり、
棒のごとくその場に
立ちすくんだ。
だが平左衛門は、
その日の深夜、
竜の口で
日蓮大聖人様の
御頸を刎ねんと
企んでいたのです。
いいですか。
少輔房の乱暴狼藉すら
「大禍は、現当二世に
のがれがたし」
ですよ。
いかに況んや、
御本仏の御命を奪わん
とする血の凍るような
この大逆罪、
その罪の深さは
どのようなものか。
平左衛門はその後
謀叛が露見して
誅殺された。
そして死後
無間地獄に堕ちた。
だが、彼個人の
現当二世の罰では
事はおわらない。
実に国家が現当二世に
大罰を受けるのです。
すなわち
当時の日本
のみならず、
未来の日本国にも
この大罰は及ぶので
あります。
まず御在世の日本国を
見てごらんなさい
――。
日蓮大聖人様の御頸を
刎ね奉らんとした
大逆罪により、
忽ちに
大蒙古の責めが
三年後の
文永十一年に起きた。
その兵力は
二万五千人、
軍船九百余隻、
戦闘は凄惨を極めた。
まず九州の対馬・
壱岐を襲った
蒙古兵は、島民を
捕らえて男は殺し、
あるいは
生けどりにした。
そして女は手のひらに
穴を空け、綱を通して
大勢を舷に吊した。
蒙古軍は世界最強の
軍団であった。
その戦法は日本軍が
初めて目にする、
火薬が炸裂する
鉄砲を用い、しかも
集団戦法だった。もし
二万五千の全軍が
本格的な侵攻を
始めたら、九州全土が
忽ち殺戮で覆われる。
だが、太宰府まで
侵攻した蒙古軍は
どうしたわけか、
その日のうちに
全軍が軍船に戻った。
そしてその夜に
大暴風雨があり、
蒙古の全軍は本国に
引き揚げてしまった
のです。
何とも不可思議な
侵攻ですね。
これ日蓮大聖人様の
お申しつけによって
なされた諸天の治罰
であるから、
この不思議が
あるのです。
しかし国中の人々は、
壱岐・対馬の殺戮が
やがて本土全体に及ぶ
と脅え切っていた。
日蓮大聖人様は
この様相を
「兄弟抄」に
次のごとく
仰せられている。
「雲の見うれば
旗かと疑い、つりぶね
の見ゆれば兵船かと
肝心を消す。日に
一二度山へのぼり、
夜に三四度馬に鞍を
置く。現身に修羅道を
感ぜり」と。
その中、第一回の
襲来より七年後の
弘安四年五月、
大蒙古が再び
日本を襲った。
その兵力は
十四万二千人で
前回の約六倍、
軍船は四千四百隻、
空前の大軍であった。
この大軍が本土に
上陸したら
日本は必ず亡ぶ。
この大恐怖の中に
日本国の一切衆生は、
立正安国論の御予言
的中を眼前にし、また
竜の口における
日蓮大聖人様の御尊容
をも伝え聞き、国主・
北条時宗以下
国中の人々が、
日蓮大聖人様の
絶大威徳、
その御存在の
偉大さを知り、
心中に改悔を生じた。
かくて人々は
逆縁の中にも、
未来に仏に成るべき
種をこのとき植えて
頂いた。
これが
日蓮大聖人様御在世の
「逆縁広宣流布」の
重大御化導で
あります。
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