このとき御奉公を
申し上げるのは、
顕正会以外にはない。
学会は前述のごとく
「極限の大謗法」の
ゆえにすでに
崩壊しつつある。
また無道心の宗門は
すでに餓鬼道に
堕している。
顕正会は御遺命を
守り奉ったゆえに
解散処分を受けた。
その処分理由は
「国立戒壇に固執し、
正本堂を
『御遺命の戒壇』と
認めないゆえ」
というものであった。
まさに解散処分こそ
「忠誠の証」
であった。
顕正会はいま
遥拝勤行で、
しんしんと
広宣流布を
進めている。
信心に距離は
全く関係ない。
日本列島のどこから
富士大石寺にまします
戒壇の大御本尊を
拝み奉るとも、切なる
恋慕渇仰の信心さえ
あるならば、直ちに
日蓮大聖人様の
御当体たる
戒壇の大御本尊に
通じて、
現世には
生活が守られ、
臨終には
成仏の相を現じ、
後生には
大安楽を得る
ことができる。
まさに信心に距離は
全く関係ない。
大事なことは、
恋慕渇仰の信心が
あるかないか、
なのです。
ゆえに日蓮大聖人様は
佐渡に住む
千日尼御前に対し
「御面を見ては
なにかせん、
心こそ大切に候へ」
とお示し
下されている。
恋慕渇仰して
南無妙法蓮華経と
唱え奉れば、
凡夫の濁った心に
仏様が宿って下さる、
日蓮大聖人様が
宿って下さる。
そうなれば、
三毒で濁っていた心が
自然と清らかになる。
四信五品抄には
「濁水心無けれども、
月を得て自ら清めり」
と。
濁った水に
心はないが、
月が映れば自然と
清んでくるのです。
また諸法実相抄には
「日蓮と同意ならば
地涌の菩薩たらんか。
乃至、日蓮一人
はじめは
南無妙法蓮華経と
唱へしが、二人・
三人・百人と次第に
唱へ伝うるなり。
未来も又しかるべし。
是れあに地涌の義に
非ずや。
剰え広宣流布の時は、
日本一同に
南無妙法蓮華経と
唱へん事は、
大地を的と
するなるべし」と。
何と有難い仰せで
ありましょうか。
日蓮大聖人様に
同心し奉り
南無妙法蓮華経と
唱え奉る者は、みな
地涌の菩薩であると。
そして
広宣流布の時には、
日本一同に
南無妙法蓮華経と
唱えることは
「大地を的と
するなるべし」と
御断言下されている。
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