次いで「五月三日」、
学会本部総会の日を
迎えた。池田は内外の
マスコミを招いたこの
総会で、いよいよ
国立戒壇の永久放棄宣
言を日蓮正宗の「法
主」になさしめんとし
ていた。
この日、細井管長は次
のように述べた。
「わが日蓮正宗におい
ては、広宣流布の暁に
完成する戒壇に対し
て、かつて
『国立戒壇』という
名称を使っていたこと
もありました。しかし
日蓮大聖人は世界の
人々を救済するために
『一閻浮提第一の本尊
此の国に立つ可し』と
仰せになっておられる
のであって、決して大
聖人の仏法を日本の国
教にするなどと仰せら
れてはおりません。日
本の国教でない仏法に
『国立戒壇』などとい
うことはあり得ない
し、そういう名称は不
適当であったのであり
ます。(中略)今後、
本宗ではそういう名称
を使用しないことにい
たします」と。
ついに細井管長は
池田の圧力に屈して、
付嘱を受けた
貫首として
身命を賭しても
守らねばならぬ
国立戒壇の御遺命を、
ここに放棄して
しまったのである。
細井管長のこの宣言は
「国立戒壇放棄の宗門
の公式決定」と宗内で
称され、今に至るまで
取り消されていない。
正系門家は今もなお
国立戒壇を
放棄したまま
なのである。
この日、
細井管長が述べた
国立戒壇否定の
論理は、全くの
たばかりである。
ついでに破しておく。
まず「一閻浮提
(全世界)の人々の
ための仏法だから、
日蓮大聖人様は
国教にするなどと
仰せられてない」に
ついていえば
「国教」とは、国家が
宗教の正邪にめざめ、
国家安泰・衆生成仏の
ために国の根本の
指導原理として用いる
教法のことである。
全人類に総与された
本門戒壇の大御本尊
を、
まず日本が世界に
さきがけて
「国教」とするのは
当然ではないか。
また、全人類の成仏の
ためのかけがえのない
この大御本尊を、
全人類のために、
国家の命運を賭しても
守護し奉るのが
日本国の義務であり
使命なのだ。
そのゆえは、
日本国は
三大秘法広宣流布の
根本の妙国だから
である。
かかる崇高なる
使命を持った国が
またとあろうか。
そして
日蓮大聖人様は
この義務を、
日本国の国主に
示し給うておられる。
それが
立正安国論における
守護付嘱の文であり、
三大秘法抄の
「有徳王・覚徳比丘の
其の乃往を末法濁悪の
未来に移さん時」の
聖文なのである。
次に「国教でない仏法
に国立戒壇などという
ことはあり得ない」に
ついて言えば
これ全く逆さまの
論理である。
国教だからこそ
国立戒壇でなければ
いけないのである。
御付嘱状を見よ。
「国主此の法を
立てらるれば」と
ある。
国主が立てられる
法とはまさに
国教ではないか。
三大秘法抄を見よ。
「王法仏法に冥じ
仏法王法に合して、
王臣一同に本門の
三大秘密の法を
持ちて」とある。
「王法」に冥合する
仏法とは
国教ではないか、
「王臣一同」が
受持する三大秘法とは
国教ではないか。
また「勅宣並びに
御教書を申し下して」
とは、国教なるゆえの
手続ではないか。
ゆえに第六十五世
日淳上人は
「国教」の重大性を
「真に国家の現状を
憂うる者は、其の
根本たる仏法の正邪を
認識決裁して、
正法による国教樹立
こそ必要とすべきで
あります」
(大日蓮 昭和32年
1月号)と
叫ばれている。
まさしく
広宣流布の日、
三大秘法が
日本国の国教と
定められたとき、
「勅宣・御教書」の
手続を経て国立戒壇を
建立すべしと、
御本仏は遺命し給うて
おられるのである。
細井管長の
たばかりは、まさに
御本仏の眼を
抉るものである。
席上、細井管長は
正本堂についても、
こう述べた。
「本門戒壇の大御本尊
安置のところは、すな
わち事の戒壇でありま
す。(中略)正本堂は
本門事の戒壇でありま
す。(中略)わが日蓮
正宗の信徒は、御相伝
による『此の処即ち是
れ本門事の戒壇・真の
霊山・事の寂光土にし
て……』との御金言を
深く信じなければなら
ないのであります」
と。
この論法が、
事の戒壇の定義を
変更して
正本堂をあたかも
御遺命の戒壇のごとく
思わしめる詭弁である
ことは前に述べた。
加えて細井管長は
日開上人の
御宝蔵説法本を
引いて、
ここでは何と
「御相伝」と
たばかっている。
前には「日応上人の
原本」といい、
あるいは
「日寛上人より
古いもの」といい、
今ついに「御相伝」と
までたばかったので
ある。
無智の信徒を
欺く罪は大きい。
次いで登壇した
池田大作は
「宗門七百年来の宿願
であり、創価学会の最
大の目標であった正本
堂が遂に完成する運び
となりました」と声を
大にして叫んだ。
かつて池田は
「国立戒壇の建立
こそ、悠遠六百七十
有余年来の日蓮正宗の
宿願であり、また
創価学会の唯一の
大目的なのでありま
す」と云っていたでは
ないか。
第六天の魔王その身に
入る池田大作は、
みごとに「国立戒壇」
を「正本堂」にスリ
替えたのであった。
この第三三回創価学会
本部総会(昭和四五年
五月三日)は、細井管
長と池田大作の国立戒
壇放棄の対外的宣言と
して、歴史的な意味を
持つものであった。
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